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残された時間で「遺す」ブログ

同時化学放射線療法③緩和ケアの介入

August 2021


 

前の記事では、淡々と書いた真夜中の失神事件だったが

 

こちら↓

mimimimi365.hatenablog.com

 

実際は倒れたときの恐怖が頭から離れず、治療の副作用もあいまって

 

もう治療なんて続けられない

早く帰りたい

 

と泣き暮らしていた。

 

また、

もう治らないんじゃないか。

治らないのに治療する意味ってなんだろう?

 

と闇落ちしていたのもこの頃で

SNSを見るとみんなつらくても前向きに頑張っているし

治療をやめたいなんて弱音を吐いているのは私くらいで

応援してくれるコメントに

「つらいけど前向きにがんばります!」と偽りの気持ちを返信しながら

心はどんどん追い詰められていった。

 

看護師さんに

みんなどんなモチベーションでこの治療を乗り越えているのか。

「治すぞ」と思ってやっているんだろうけど私はどうしてもそう思えない。

治療は続けたいが心がついていかない。

 

というような話をすると

 

うーん。

治すとかじゃなくて「子どもが〇〇するまでは生きる」

とかってがんばる人が多いよ。

だから「3年は生きる!」みたいに考えたらいいんじゃない?

 

(意訳)

そもそも術後すぐに再発したあなたが

「治す」なんておこがましい。

もっと現実を見なさい。

 

3年て余命か…?

 

さらにメンタル悪化した私だったが、

この看護師さんはそんな私を緩和

ケアにつなげてくれた。

 

しかしせっかくのその配慮も、

この病院の緩和ケア医師(女性)と相性がよくなったのか

メンタルがケアされることはなかった。

(そもそもそういう場所じゃない??)

 

その医師は病室に来ると決まって「イスを借りてもいいかな?」と言って

私の斜め前あたりに折りたたみイスを拡げる。

それが私には「あなたの話を親身に聞こうとしていますよ」

のポーズに見えてあまり好きではなかった。

 

そして私のつらい気持ちをはじめ、家族のこと、仕事のことなど

確かに話はよく聞いてくれた。一切口をはさむことなく。

否定も肯定せず、ただ聞いているだけ。

私が話を止めると沈黙が訪れ、部屋に重苦しい空気が流れる。

 

緩和ケアってもっとつらい気持ちに寄り添ってくれたり

時には励ましてくれたりするものだと思っていた。

 

今の状況は、変なプレッシャーの中、ただ私が一方的に話しているだけ。

そして最後に薬の調整をして終わる。

もちろん病気や症状に対する一般的な質問には答えてくれるのだが、

私個人の問題や気持ちをケアしてくれることはほとんどなかったように思う。

 

しかし、他の患者さんに対してはまったく違う素振りで

明るく笑いあったり、元気に励ましたりされていたので

ひょっとして私の問題なんだろうか…?

 

医師とはうまくいかなかったが、

緩和ケア認定看護師さんはとても支えになってくれた。

 

病室で一人悶々としていた私を

屋上庭園(それまで存在を知らなかった)に連れ出してくれたり、

気分転換になるから!

とリハビリを受けられるよう主治医に進言してくれたりした。

 

リハビリは通常、入院中寝たきりで身体機能が落ちるリスクがある高齢者や

術後の機能回復が必要な患者が受けるもので、私はふつう適応外だし

同じ治療を受けている患者さんでリハビリしている人を見たことがないw

主治医も、え?と思っただろうが「リハビリやりましょう!!!」と

無駄に元気よくGoが出た。

 

あとは「凄麺」(これもこのときはじめて知った)。

これで盛り上がったのも懐かしい思い出。

なんでもこのメーカーの麺の技術がすごいらしく、

この技術によって全国各地のご当地ラーメンがカップ麺で再現されている。(たぶん)

看護師さんには何県の〇〇がおすすめ!などいろいろ教えてもらった。

それに影響されて、凄麺の凄さ?を家族にLINEでアピールしたりしたがこちらと向こうの温度差が大きく大して伝わらなかったようだw

(代わりに元気そうだということが伝わってよかったw)

 

凄麺、今でもたまにスーパーで見かけると

あのときのつらかった気持ちや

そんな中にもあったほんの少しの楽しい時間や希望など

いろいろな感情が入り乱れて胸がしめつけられる思いがする。

 

ちなみにそんな思い出の凄麺だが、実はまだ一度も食べたことないw