同時化学放射線療法④救いのリハビリ
August 2021
「息抜きにどう?」と緩和ケア認定看護師さんに勧められるがままに始まったリハビリだったが、これが思いがけず入院生活の中で大きな支えとなってくれた。
正直、始めはそんなに乗り気じゃなくて
でも他にやることもないし、断る理由もない。
身体を動かすのは嫌いじゃないし
やってみてもいいかな…。
程度の消極的な気持ちで始めたのだが、いつの間にかこの時間を心待ちにしている自分がいた。
リハビリでどんなことをやったかというと
まずは私がどこまで動けるかのチェック、
・立つ
・片足で立つ
・歩く
トレーニングルームに移動して
・ストレッチいろいろ
・腕立て、腹筋、背筋
・エアロバイク
など、初回は体力測定的なことをしてもらった。
前半部分はまぁ普通にできるねとなり
後半のメニューは体力を落とさないために負荷を調整しながら続けていきましょう!ということになった。
リハビリは平日毎日で1回約1時間。
最初のうちは余裕でメニューをこなせていた私だったが、治療が進むにつれて副作用でリハビリどころではなくなってくる。
まずトレーニングルーム(遠い)まで辿り着けなくなる
↓
次に廊下での歩行練習もしんどくなり
↓
終いにはイスに座ることすら厳しくなる
このようにどんどん弱っていってしまったのだが、先生は毎日部屋に来てくれて動けない私にマッサージをしてくれたり、隙を見て(?)少しだけ!ストレッチだけでも!と若干スパルタ気味にリハビリを続けてくれた。
そして体調の良さそうな日があれば
歩行訓練をしたり、階段昇降の練習をしたり
リハビリがお休みになる土日に向けての宿題(というかノルマ)が課されたりした。
当たり前ではあるが、病院内において医師や看護師をはじめとする病院スタッフと「患者」との間には
助ける人 >>>> 助けられる人
という厳然たる力関係が存在する。
病院内で患者は庇護されるべき存在であり、何も期待されず、治療のベルトコンベアーの上をただひたすらに流されていく、そんな態度が求められているように思えた。
余計な手出しは無用、自分でできることでも先回りして誰かがやってくれる、あるいは私がやると大げさに感謝される。
そんな「やさしさ」は私に、より一層「何もできない自分」を突きつけることとなり無力感と申し訳なさでいっぱいになっていたあの頃。
いつだって「助ける側」だと思っていた傲慢な私は自分のことすら満足にできなくなり、アイデンティティは崩壊寸前だった。
そんな中、リハビリの時間は
唯一「以前の自分を取り戻せる時間」
だったように思う。
まず、先生が病人扱いしてくれないw
基本的にスパルタで(病人目線で)高めの目標が設定されるし、こちらから根をあげない限りトレーニングは続行される。
今までぬるま湯に浸かりきっていたため最初は面食らってしまうも、それが病気じゃない元の世界に戻ったような気がしてとても心地がよかった。
私はまだまだやれる!!という変な自信にもつながっていた。
それから、この先生は治療がどうだとかあまり知らない(たぶん興味ないw)のでそれがとても気楽だった。
これが看護師さんだと「どこがどういう風にしんどい?」と聞き取りが始まるし
下手すると「そんな副作用ないはずだけど」と症状を否定されることすらあり得る。
医師の場合であれば「薬の調整をしましょう」あるいは「様子を見ましょう(打つ手がない)」となるかもしれない。
それは何も間違ってはいないのだけど
「あーそうなんだ。しんどいねぇ。」
「こんな感じの患者さんもいたよ」
「じゃもうちょっといける?(スパルタ)」
と、ただグチをグチとして明るく受け止めてくれるこの先生はとてもありがたい存在だった。
だんだん私の中でママ友のような感覚になっていった先生とは、仕事のことや子どものことなどマッサージをしてもらいながらたくさん話しをした。
そんな時間は退屈で刺激のない入院生活の中でとても楽しいものとなり、閉ざされた病院の中で唯一外界と繋がっている場所であるかのように感じられた。
そしてまた、リハビリの様子を報告すると家族はとても喜んでくれそれが何よりうれしかったことを覚えている。
それまでは鬱々とした内容か、はたまた突然ラーメンの話しをLINEに連投したり↓
体力的にはきっとなくても問題なかったであろうリハビリも私にとってはこの入院生活を乗り切るためにはなくてはならないものだった。
あのとき勧めてくれた看護師さんと
ママ友リハビリ先生には本当に感謝している。