排尿障害
January 2021
手術で失ったものは子宮だけではなかった。
あの日以来、私は「オシッコ」がでない。
生きるために「自己導尿」という手技を覚え、カテーテルを使用して強制的に排尿している。
そう聞くと日常生活に支障が出るような大変な不便を強いられていると思われるかもしれないが実際はそうでもない。
常にカテーテルを持ち歩かないといけないわずらわしさはあるがそれ以外はどこにだって行けるし何だってできる。
見た目も特に変わったところはない。
しかし今でこそ「自己導尿ですが何か?」的なスタンスでいられるがやはりそれを受け入れるには相応の時間を要した。
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術後4日目。
バルーンが抜ける。
術後はじめてのトイレ。
これまで通りしているつもりなのだが何の反応もない私の膀胱。
しかし事前情報としてこうなる可能性を知っていた私は特に慌てることもなくまぁそのうち出るようになるだろうと楽観的に構えていた。
看護師さんも「ま、そうだよね」程度の反応を示したあとベッドに戻りテキパキと導尿をしてくれた。
このあとも
トイレ→出ない→ナースコール→導尿
のルーチンを繰り返したが、この日はとうとう1滴も出ることはなかった。
翌日。
「今日から自己導尿の練習をしましょー」
と看護師さん。
え、もう?
みんな(Twitter)もう少し粘ってるけどな…。
見切りつけるの早くない??
そうは思ったが、病院によってやり方が違うのだろうと自分を納得させ自己導尿の練習を始めることにした。
自己導尿にはいくつかの流派があって大きくは以下の4つに分類される(たぶん)
鏡使う派 or 使わない派
座ってやる派 or 立つ派
この病院では
鏡使わない & 座る
がスタンダードなやり方らしくそれに則って手順を教わる。
手順といっても大したことなくて
手を洗う
↓
カテーテルを取り出し、潤滑ゼリーを塗る
↓
程度のものだった。
え、尿道ってどこ…?
最後のところ端折りすぎじゃない??
という意見が大半だと思うが
「感覚で覚えてください」
というムチャ振りで無情にもその声は切り捨てられるのだった…。
そんな感じなので1日や2日でできるような代物ではなくだんだん諦めかけてきた頃
そもそも自分で出せればこんなことしなくていいじゃん!
ということに思い至りその方向で頑張ることにした。しかし何日たっても自尿は出ないまま。
さすがに焦って先生の指示を仰ぐ。
すると先生は思ってもみなかったことをサラッと言った。
「あなたの場合は出るようになりませんよ。
神経とってるので。」
!!!
このあと私はメンタル崩壊してしまい、荒れに荒れた。
夫やSNSにぶち撒けても返ってくるのは「絶対よくなるよ」に代表される意味のない励ましだけ。
(すみません、今は感謝しています)
緩和ケアナースに
「手術なんてしなきゃよかったぁぁー
手術前に戻りたいぃぃー」
と泣き喚いても何の解決にもならないばかりか自分のモンペ(モンスター・ペイシェント)ぶりを露呈するだけ。
何もする気がなくなって自己導尿の練習を投げ出したりもした。
でもそれで困るのは自分。
できるようにならないと退院もできない。
どんなにやりきれなくても失ったものは戻らないし、これから生きていくためには嫌でも自己導尿やるしかないんだ
となんかスポ根風味な経緯で、それからは(前よりは)真面目に練習に取り組むようになった。
うまくできたり失敗したり一進一退を繰り返しながらではあったが、練習の甲斐あってなんとか退院許可が降りたのだった。
ちなみに退院後もフル自己導尿の日々を送っていたが、謎に術後1年頃から急に少しずつ少しずつ自尿が出るようになってきた。
術後2年の今では1日の導尿回数が5→3回程度には減りゆっくりではあるが膀胱機能が回復してきているのを感じる。
なのでもし、同じように排尿障害で落ち込んでいる人がいたらどうか希望を持ってほしい。
年単位ではあるけど、きっとよくなります。
あなたの膀胱はちゃんと頑張っている!