誰にどこまで伝えるか問題
ガン治療永遠のテーマその2
その1はこちら↓
私の場合、前提としてできるだけ誰にも知られたくないというのがある。
だけどそういうわけにもいかないので
・これから迷惑をかけてしまうかもしれない人
・これからサポートをお願いすることになるかもしれない人
に限定して病気を打ち明けることにした。
以下、打ち明けた順に記載。
1. 夫
疑い段階からすべてを話している。
感情をあまり出さないタイプでほんとのところどう思っているのか未だにわからない
2. 会社のマネージャー
疑い段階から簡単に状況を報告している。
たびたび休職したり休暇をもらったりしているので夫以外では最も病状を把握している人。
その他会社関係で病気を知ってるのは
・仕事で一番絡む女子
・HR
くらいで大多数の人は私がガンだと知ったらひっくり返りそうw
3. ママ友関係
告知されてすぐグループLINEで報告
日常の細々したサポートでほんとに助けてもらっている。でも悪い情報はなんとなく言いづらくてみんなの前では「すっかり治って元気な私」を演じている。
4. 義母 & 夫兄弟とその家族
急な通院で家を空ける時に義母に急遽来てもらうことになり、その時伝えた。
義母にしか伝えるつもりはなかったが瞬時に義実家方面に広まってしまう。もやもやするも基本的に義家族はみんないい人たちなので結果的には知ってもらっていてよかったと思う。
同じく治ったことにしている。
5. 子どもたち(当時小3 & 中3)
手術で家を長く空ける前に話した。
いつ話すかどう伝えるか一番悩むのがここだと思う。この時は「ガンになったけど絶対治すから大丈夫!」というようなことを伝えた。子どもたちは親が思うよりも強く「話してくれてよかった。隠されるのは絶対にいや」とのことだったのでこれでよかったんだと思う。
でも病状が進行してからは本当のことを言えない…
話したのはここまで。
その他、話していないのは
両親→どちらも高齢&入院中
兄2人→いずれ言わなきゃな…
学校の先生→何て言っていいかわからん。困らせてしまう気がする
私の場合はこんな感じ。
組織型判明する
細胞診は突然に
January 2021
普通じゃない
January 2021
手術してもらおうと転院を決めた病院には腹腔鏡の権威のような先生がいるらしい。
そんな偉大な先生が私なんかの手術を引き受けてくれるんだろうか、そもそも予約取れるんだろうか…
恐る恐る電話をしてみると意外にもあっさり2日後の予約が取れた。たまたま運がよかったのかそういうもんなのか、いずれにせよ時間がない私にはとてもありがたかった。
緊張と期待の入り混じる診察の日。
これまでの検査結果を抱え片道2.5時間かけて病院へ向かう。
高速を下りて街中を走っていると
なんか綺麗なホテルがあるなぁー
と思って見ていたところが目的の病院だった。
病院内もとても綺麗で、それでいて暖かく
昔の「暗く無機質な病院イメージ」はもう古いんだなぁとしみじみ感じたものだったが
ここが特別だったということを次の病院で嫌と言うほど思い知らされる…
さて
吹き抜けにかかるエスカレーターに乗り婦人科のフロアへ。
診察まで1〜2時間待った気がするけど居心地良すぎてまったく苦にならなかった。
そしていよいよ診察。
中に入るとそこはなぜか診察室と診察室の間?の空間。簡単な机と小さな丸椅子、奥の台にはいろんな書類や器具が並んでいる。
その小さな丸椅子にチョコンと腰掛けている術衣のようなものを着た先生。…なんか少し面食らってしまった。
「ごめんなさいね〜。手術でお待たせして」
手術の合間に外来をこなすスタイルらしい。
(体力半端ない)
そして穏やかな口調で
・画像をじっくり見たが転移はなさそうなこと
・サイズ的にぎりぎり腹腔鏡手術ができること
を話してくれた。
ホッとしたがこのあと私は怒られる
それは軽く口にした一言。
「排尿障害を防ぐ縮小手術ができるんですよね?それがいいな〜と思って。」
たぶん言い方も悪かったのだろう。
先生の顔色がサッと変わり
「それはもっと初期の段階。あなたは生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。もっと自覚を持った方がいい」
ピシャリと言われた。
正直驚いた。
縮小手術を口に出すことも許されないぐらいに悪いんだ…
この時の認識はまだ「普通」のがんでステージ1
この病院でのステージ1の5年生存率は95%
助かることに何の疑いも持っていなかった頃。
だからこそこの先の長い人生、後遺症に悩まされることなく暮らしたい。そのための病院選びをしてここにきたというのが本音だった。
先生はまたすぐに元の穏やかな雰囲気に戻り、話題は組織型の件へ。
前の病院では判別不能だった組織。
まぁ分からなくても手術はできるんだけど…と画像をじっと見ながら
「これ、普通じゃないんだよねぇ」
普通じゃない…。
4cmある腫瘍の2/3が壊死している。
壊死 = いいこと
まだそう思っていた私は、生きてる部分だけだと2cmないな…ステージ下がったりするのかな?
とかバカなことを思い浮かべていた。
先生はそれを見透かしたように
「壊死っていいことじゃないからね。むしろその逆。ガン細胞の増殖が早すぎて成長に必要な酸素が足りなくて死んでいってる状態。つまりそれだけ活発だということ」
…何だろう。
背筋が氷るってこういうことを言うんだな。
とてつもなく大きな悪材料を出されたのに、頭が上手くまわらない。
そしてとなりの夫はたぶんなんだかわかっていない。
さらに続ける先生。
「肉腫…とか…」
肉腫…(聞いたことない)
「ま、なんだかわからないけど手術でとるしかないね」
こうして初めての診察は終わった。
このときの私は
肉腫って何だろう??
それにしてもやっぱり先生ってすごいんだな。
画像だけで組織の見当がつくなんて。
とまだまだのんきに構えていた。
この病院でほんとにいいの?
January 2021
手術を受けることを決めた私に一抹の不安がよぎる。
「本当にこの病院でいいの…?」
誠に失礼な話しだと思う。
でもSNSで知ってしまったのだ。多くの人が多少遠くてもがんセンターや大学病院など有名どころ?で治療を受けていることを。特に手術を受けるならより慎重に病院を選ばなければならないと。
標準治療なら日本全国どこでも同じ治療が受けられる→だから家から近いのが1番!
というのがオフィシャルの見解のようだが騙されてはいけない。
手術をするなら話は別だ。特に難しい手術になればなるほど病院格差が大きいのが実情。一般的に手術件数が多いほどよしとされ、その恩恵は執刀医のスキルだけでなく有害事象が起こった際のナースやスタッフの対応力にも波及するから、と手術してもらった病院で教えてもらった。
当時、私が手術を受ける予定にしていた病院はがん拠点病院ではあるもののがん治療に特別秀でているわけではない一般的な地域の基幹病院だ。
手術件数を見てみる。
件数自体はそれなりにあるようだ。
が、よく見ると大半が良性疾患のもので私が受ける予定の手術は年間数件程度であることがわかった。術式の違いとか当時はそんな知識はなかったがこれを見たときやっぱり何か違うんじゃないかと思った。
そしてイチから病院を探し直すことにした。
人は必要な時に必要な人と出会えるようになっていると言うけれど私の場合はそれが病院だった。
数ある病院の中から導かれるようにして目に留まったのは、200km離れた某地方にある腹腔鏡で国内有数の手術実績を誇る病院。
地方にありながら日本全国から患者さんが集まってくるようなところ。
そんな病院にセカンドオピニオンという制度すら知らなかった私は通常の診察予約を取って受診し気づいたらそのまま転院していた。
ガン治療は選択の連続だけど、この転院は私の闘病生活の中で、一二を争うベストな選択だったと言える。
手術か放射線か
January 2021
それはガン治療の永遠のテーマ(知らんけど)
ステージ1は手術も放射線も選択できる。
それ故に治療の選択を迷う人は多いんじゃないだろうか。
当時から海外では放射線は手術と同等の治療成績だというエビデンスのもと、標準治療としてバンバン選択されていた。一方、日本ではまだまだ手術優勢という風潮が強かったように思う(2年後の今は放射線も増えてきたと感じる)。
なので当初は私も何の迷いもなく手術を選択するつもりだった。
しかし手術をした場合
・術後、放射線の追加治療を行う可能性がある
・追加治療の要否は手術してみないとわからない
・手術+放射線はそれぞれの単独治療よりもリンパ浮腫になるリスクが高い
・排尿障害になるリスクがある
という話しを聞き、それなら放射線の方がよくないか?(追加治療とか考えなくてよいし)と放射線に傾きかけたところ
・放射線でガンが完全に消える保証はない(手術は物理的に取れるが放射線が効くかは一種の賭け。一部残ってしまうこともあり得る)
・照射部位の手術はできない
・照射部位への再照射はできない
という放射線サイドの制約も知り、どちらに進むべきかまったく決断できなくなってしまった。
1人ではなかなか結論が出せないのでSNSで生の声を聞いたり前医(感じの良くない)に率直な意見を聞きに行ったりした。
放射線サイドの見解も聞きたかったけど当時は手段がなく、最終的に私は「手術」を選択した。
放射線はやはり残存腫瘍のリスクが取れなかった。術後再発をきたしてしまった場合に放射線を温存しておけるというのも魅力だった。(しかし初めから放射線ならそもそも再発しなかったんじゃないかというのは検証不能なため正解は誰にもわからない)
とにかく私は手術を選択したのだ。
そして術後に放射線治療もすることになった。。
おかげで心配していた後遺症はおそらく大体をカバーw
術後2年後も排尿障害で自己導尿の日々だし、リンパ浮腫や軽度の蜂窩織炎も発症。
でもあの時の選択は後悔していない。
今生きているのはあの時手術できたおかげだし、手術をしてくれた先生は私の恩人である。
検査結果
January 2021
前医で9割子宮頚がんだと言われていたためガンである覚悟はできていた。
その上ではっきりさせたいのは転移の有無。
告知からこの日までは
お腹が痛い→大腸転移?
食後お腹が張る→腹水?
鎖骨のあたりが腫れている→鎖骨リンパ転移?
咳がでる→肺転移?
と何でもガンに結びつけてしまうガン患者あるあるを発動。
そして迎えた診察日。
この日は夫も同席していた。
夫はこの時はまだガンであること自体を疑っていたようだ。
が、結果はやはり「悪いものでした」と。
しかし幸いにもガンはまだ子宮頸部にとどまっており転移なしのステージ1b。
「大丈夫なんですよね!!」
なぜか圧強めの夫。
「子宮頚がんステージ1の5年生存率は80%以上。じゅうぶん根治が望めます。頑張りましょう!!」
と落ち着きつつもはっきりと話す医師。
それを聞き、夫はもう完全に治るものだと安心しきっているようだった。
私は転移しているものだとばかり思っていたので信じられない気持ちながらも「助かるかもしれない」と内心かなりホッとしていた。
なんとか最悪の状況は免れたな…。
手術は怖いけどしっかり治してすぐに日常に戻るぞ!
しかしこの時点では誰も深刻に捉えていなかった不安材料がひとつ。
「組織型が診断できない」
病理にまわした細胞はすべて壊死しており組織型は判別不能だったという結果。
素人の私はこれは朗報だと思った。
壊死してるってことはガンが勝手に消えていってるんだ!ラッキー!!さすが私の身体!
…くらいには能天気だった。
医師はおそらくこんな感じだった。
組織型がわからない??
ま、術後の病理で分かるでしょ。
手術で取りきれば問題ない。
実際は違うのかもしれないが私にはこう見えた。
その後、月末の手術日を抑え足取りも軽く帰宅した。
しかしこれが終わりの始まりだったのだ。
それがわかるのはもう少し先の話し。